1914年、ボスニアの首都サラエボで起きたオーストリア皇太子夫妻暗殺事件は、やがて第1次世界大戦として世界中の国々を戦争へと巻き込んでいきます。映画の世界では、戦争の主戦場となったヨーロッパ各国の映画製作が沈滞し、替わってアメリカ映画が台頭してきます。日本でも連続活劇の流行とともに、1915年頃からアメリカ映画が席捲していきます。日本における帝政ロシア映画は、この1915年が最後の輝きだったようです。
1915年(大正4年)
恐ろしき復讐
The Dreadful Revenge or an Accursed Race
露・ハンジョンコフ作品
原作:ニコライ・ワスリエウイチ・ゴールイ
脚本:スタトウイチ
出演
W・K・トルジャンスキイ
O・D・ナポレンスカイア
I・I・モジュヒン
P・テ・クノル
1915/4月上旬 電気館封切
4455ft
コザックの古譚「ステパン王の両鬼の夢」の映画化。
原作の"ニコライ・ワスリエウイチ・ゴールイ"とは、ゴーゴリ(ニコライ・ワシーリエヴィチ・ゴーゴリ)のことではないでしょうか?そうだとすると、この原作は『ディカニーカ近郊夜話』第2部(1832)の中の「恐ろしき復讐」だと思われます。
気になるのは、1914年9月封切の「ウラルの鬼」と1915年封切日不詳の「怪従卒」の英語題名。2作を一緒にすると本作の英語題名となってしまいます。
出演者の中の"I・I・モジュヒン"はイワン・モジューヒン(1889〜1939)と思われます。モジューヒンは、84本のロシア映画に出演しトップ・スターの座にありましたが、革命後フランスに亡命します。このフランスで亡命ロシア映画人たちのプロダクションであるエルモリエフやアルバトロスで映画を作りました。中でも、主演のみならず脚本も担当したアルバトロス作品「キーン」(1924)は、日本でも公開されて当時の映画青年たちに高く評価され、1925年のキネマ旬報ベスト・テン"芸術的優秀映画"の第2位を得ています。
モスコー市と露帝
Moscow and Czra of Russia
英・アーバン(キネマカラー)作品
1915/4月上旬 帝国館封切
風景記録
日本少女の恋
A Japanese Lassies Love
露・パテ(タナグラフィルム)作品
出演
A・ラドニトスキイ
E・A・スミルノワ
1915封切日不詳
日露戦争で捕虜となったロシア人と日本人看護婦との恋の悲劇。
日露戦争における日本の捕虜の取り扱いは、後の太平洋戦争の時と比べると極めて人道的なものだったようです。また、ロシア側からみても日本人のロシア兵捕虜への寛大さは清潔好きで勤勉な国民性とともに驚嘆させました。日本各地に傷病捕虜たちの収容所が設けられて看病されました。そんな中で、日本人看護婦のかいがいしさに心ひかれた捕虜もいたようで、この映画の物語もそうしたことに基づいているのかも知れません。
怪従卒(悪魔の復讐)
Diabolical Revenge
露・アレキシーフォドンテロ作品
1915封切日不詳
2970ft
莫斯科の淪落の淵
In the Pool of Moscow
露・ハンジョンコフ作品
監督:K・L・ラルカ
1915封切月不詳
3894ft
セムシの怨(傴僂の恐ろしき復讐)
The Hndch Back's Terible Avenge
露・ドランコフ作品
監督:E・F・パウエル
出演
P・A・カシウスキイ
A・M・ミチュリン
リディア・アンチャボォヴァ
V・N・ゴルディナ
1915封切月不詳
4554ft
正劇
監督の"E・F・パウエル"は、エヴゲニー・フランツェヴィチ・バウエル(1865〜1917)だと思います。バウエルの名はこれまで知られてきませんでしたが、サイレント期の世界映画史に名を残すべき監督として、再評価の機運が高まっている人物です。「ソヴェート映画史―七つの時代」にバウエルの事が詳しく書かれていますので、是非、お読みください。
踊りッ娘(一本の燐寸、ダンサー)
The Dancer
露・ドン・オセロ作品
1915封切月不詳
2891ft
"ビッコの女"または"若き恋"
ХРОМОНОЖКА
"A Lame Woman" or "A Yong Love"
露・ハンジョンコフ作品
出演
L・A・シェプキン
L・G・テレキ
N・W・マルガリトワ
1915/1月封切 |