ソビエト映画の時代へ

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 第1次世界大戦は1918年11月に終結しましたが、この間、ロシアでは1917年に革命が起きます。国有化されるまでの数年間、私企業としての映画製作はヤルタやオデッサで続けられていました(ニキータ・ミハルコフ監督の「愛の奴隷」はこうした時代の雰囲気をモチーフにしているのでしょう)が、先に紹介した俳優のモジューヒンのように亡命する映画人も少なからずいたようです。こうした動きの中で、プロタザーノフ監督の「セルギー神父」(1916)やアレクサンドル・サーニン監督の「ポリクーシカ」(1918)などが国外に持ち出されて上映されたと、「ソヴェート映画史―七つの時代」に記述されています。
 封切りの詳細が不明ですが、「セルギー神父」は、「ペエター・セルギー」という邦題で公開されたようです。
 また「ポリクーシカ」は、1927年(昭和2年)の封切作品の一覧の中に以下のようなものを見つけました。

ポリクシュカ
Polykushka
 露・作品
 原作:レオ・トルストイ
 主演:モスクフィン
 1927/5月27日シネマパレス封切5巻
 文芸映画

ソビエト映画「ポストマスタ」1925 この年、1927年はソビエト映画として日本で興行された第1作目「ポストマスタア」が公開されています。(7月29日武蔵野館封切)この作品は、共同監督と主演を上記の「ポリクーシカ」で主演したイワン・モスクヴィンが務めています。モスクヴィンはモスクワ芸術座を代表する名優と言われた人。2ヶ月ほどの間に彼の主演作が続けて公開されたのは、何か理由があったのでしょうか。
 いずれにせよ、帝政ロシア映画は姿を消し、この後、ソビエト映画が数は少ないながらも日本で公開されるようになったのです。

 以上、駆け足で見てきました。どれほどの人数が見たのかは判りませんが、プロタザーノフ監督の代表作やバウエル監督の作品が、当時の日本にも紹介されていたことに驚き、少しばかり安堵しました。今回の調査では、ロシア側の資料にあたっていませんので、いずれ機会があれば、これらの作品の原版について調べてみたいものです。
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